発達障害(自閉症、ADHD、学習障害)で知的障害、言葉の発達の遅れを伴わない場合、軽度発達障害として最近小中学校教育でも発達障害者支援法等で関心を集めていると思います。症状が重たければ乳幼児の健診で発見されるのですが、軽症例であれば見過ごされ学童期において問題が表面化し、親・学校・教師にとって問題の実体がわからず、回り回って発達障害専門のの精神科医の診察・診断を受け初めて障害が存在する事に気づくというのが現実かと思います。
そもそも精神疾患に「明快な境界が存在するわけではない。」(例えばインフルエンザのA型、B型、新型のような明確な差異はない)ということを理解していない専門家もいます。そのため無駄に診断に対して延々議論したり、時間を費やしたりします。本当は神経症もうつ病も人格障害も統合失調症も認知症も境界ははっきりせず連続しているのです。精神疾患はそもそも、その世界の偉い先生が集まって人為的に診断基準を決めていると思ってください。私自身そういうように考えていますから、発達障害の診断を軽症例まで含めることに対して、患者さんに一生涯ついてまわる診断を安易につけることには疑問を持っています。
しかしながら、日頃思春期および成人者を治療する事が多いのですが、その中には発達障害の延長上にあると推測される患者さんも見受けられます。軽度よりさらに軽い「発達障害傾向」 (勝手に造語してすみません) の方は学童期も気づかれず、思春期以降対人関係を中心に問題が表面化し、医療機関を受診している方は少なくないと考えています。不登校、イジメ、非行、自傷行為、凶悪犯罪、自殺、ニート、引きこもりなど現代の精神的な問題のトピック、心の闇などと言われている現象は「発達障害傾向」が関連している可能性があります、それもかなりの確率と推測しています。
発達障害の最新の知見では80パーセント以上遺伝との関係があると言われています、つまり今まで親子関係、環境要因が原因とされていた「心の問題」も実は遺伝的な原因が主な要因と考えられます。もちろん環境的要因が無関係であるとは言えませんが。
児童相談所の虐待した親への対応の甘さ(虐待を受けた子供の回復力は元々備わっていますから問題は親への対応です)、少年凶悪犯罪者に対する楽観過ぎる処遇、イジメに対するの学校・教師側の無責任な対応などが国民に不信感を与えています。その原因の根本は、「心のケア」の専門家と称する大きな集団が遺伝的な背景を無視しているからです。遺伝的な原因である以上治療困難であることを前提に議論を進めるべきです、それが第一歩と思います。