いつかはその時が来るものとして覚悟していましたが、今年の正月早々現実のものとなり、それで当方の疲労も積もりギリギリの状態です。実の両親のことですが、父親は15年前に心筋梗塞を発病し以後闘病生活が続いておりました。母親は5年ぐらい前より認知症の症状が出現していました。両親ともに心身の障害者のレベルでしたですが、互いに助け合いどうにか生活していたわけです。ところが平成21年1月1日、父親が心不全となり緊急入院し、状況が一変しました。残された母親は一人では生きていけないわけです。
それで父親が入院した当日、認知症の母親を当方の自宅に連れてきたわけですが、激しく抵抗し自分の家に帰ると主張します。数時間説得しましたが現状を理解することはできないと判断し本人の自宅に帰しました。徘徊しどこに行くかもわからないので、二人の子供、その嫁で面倒見ていましたが二週間が限界でした。
幸い認知症対応のグループホームに入所できましたので、父親は入院、母親は入所という体制をとることができどうにか落ち着きました。
当方荒尾保養院勤務時代は、重度の認知症患者さんを主治医として担当していましたが、さすが病院での対応と勝手が違い戸惑いました。認知症の方にはそれに対応したハードウエア、ソフトウエア、マンパワーが必要と痛感しました、24時間体制で介護がするわけですから、自宅では無理な場合も多いかと思います。
当院の通院患者さんの中には、自分の両親、義父母の介護にご苦労されている方も少なくありません。身内を施設に入所させることに罪悪感を持つ方も多いです。しかし、認知症の症状・程度によっては、在宅介護は家族全員を疲弊させる結果となり、現実困難であり認知症の方にも必ずしも良い選択ではないと思います。
認知症に限らず、家族に大きな負担を強いる在宅介護・療養・治療は、必ずしもベストな対応ではありません。社会・国家による援助・対応が不可欠です。近くの施設に入所して頻回に面会するというパターンが良いと考えます。このように社会・国家による介護は核家族社会では必要不可欠であり、とても重要な仕事です。介護の世界で働く人々が安心して働けるよう税金を投入すべきです。もちろん働く側の意識改革も必要となります、もう公共工事に頼る時代ではないのです。